老害失格

恥の多い生涯を送って来ました。

自分には、メゾンの営為というものが、見当つかないのです。自分は関東の田舎に生れましたので、メゾンの服をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は4本のステッチを、訝しみ、愛で、そうしてそれがいつの間にかメゾンによるデザイン自体をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは顔出しを拒むデザイナーみたいに、謙虚で知的で、匿名性を得るためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。タグを付けたり外したりは、自分にはむしろ、ずいぶん本来性のない遊戯で、それは界隈の論争の中でも、最も無益なものの一つだと思っていたのですが、のちにそれはただメゾンがデザイン自体をまたぎ越えるための頗る実利的な階段に過ぎないのを発見して、にわかに興が覚めました。

 

つまり自分には、メゾンの営みというものが未だに何もわかっていない、という事になりそうです。自分がメゾンへ求めるものと、世のすべての人たちががメゾンへ求めるものとが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。自分は、いったい老害なのでしょうか。自分はブログの時代から、実にしばしば、老害だと人に言われて来ましたが、自分ではいつも地獄の思いで、かえって、自分を老害だと言ったひとたちのほうが、比較にも何もならぬくらいずっとずっと有害なように自分には見えるのです。

 

そこで考え出したのは、道化でした。

それは、自分の、メゾンに対する最後の求愛でした。自分は、ロゴドンを極度に恐れていながら、それでいて、メゾンを、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかにメゾンにつながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

 

 

以上のような長い、全方位的な言い訳をしながら、財布を買いました。

 

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