再考 もう、家に帰ろう

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一度ブログで取り上げた藤代冥砂の写真集
もう、家に帰ろう

以前の記事ではこの作品の本質をちゃんと捉えられていなかったように思うので
もう一度だけ取り上げさせてください。
過去の記事へのリンクはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/margielamarni/7228192.html

この本では多くの写真1枚1枚にキャプションが付けられていて
写真は勿論のこと、各々のキャプションの内容も僕は大好きです。

ただ、一文だけ「これはかっこつけすぎたな」
と思うキャプションがあったのです。

それは写真集も最後に近づいた時の一文で

夜の道 私たちのソフトパレードは続いていく

というものでした。

他のキャプションはさりげないのに
ここだけソフトパレードなんてオサレな言葉を使っていて
なんだか白々しいと感じたのです。

       

荒木経惟の センチメンタルな旅 冬の旅 は
荒木経惟が1971年に結婚した妻、陽子さんとの新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」と、
その後、陽子さんの子宮癌発病から葬儀までを記録した「冬の旅」の二部構成になっています。
センチメンタルな旅では新婚旅行という一般的には希望に満ちたものであるはずの旅路に
既に死の気配が入り込んでおり、
冬の旅では死への旅路そのものが写し出されています。

       

藤代冥砂の「私写真」集である
もう、家に帰ろう のキャプション(と勿論写真にも)には
荒木経惟の既存の、そして恐らく偉大な「私写真」集である
センチメンタルな旅 冬の旅への
対案の提示や意思表明が多分に含まれています。

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時々こうしてポラロイドで花を撮ったりしている
一番綺麗な時に撮って残したいのだという
私も綺麗な物事だけを撮っていたい

操作を間違えて入ってしまった日付(注:荒木の写真には日付が入っている)

死の気配のない写真が好きだ

君より長く生きたい

おそらく真鶴駅 夏の日のあみは体調がすごくいい 冬はあまり好きではない

揺れる姿を見ていたら、あみとの子供のことを思った(注:荒木と陽子に子どもはいない)
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篠山紀信が センチメンタルな旅 冬の旅 を評して
「ここにあるのは単なる陽子さんの死にすぎないよ。」
と切り捨て、荒木経惟と一時絶交状態になったのは有名な話だそうです。
詳しいやりとりはこちらを参照ください↓
http://www.kanroshobo.com/KANROKANRO/ARAKI/ARAKI-BOOK/fuyunotabi.html

評論ではなく
同じ「私写真」集という土俵で
対案を提示した藤代冥砂
その対案の最たるものが
妻の死によって終わりを迎える
センチメンタルな旅 冬の旅
という旅路に対する

夜の道 私たちのソフトパレードは続いていく

というあのキャプションだったように僕には思えるのです。