デルモ イメージの借用

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コレクションのモデルさんはとてもキレイです。

ファニーフェイスだなんだと言ってもそこらへんを歩いていたら
やはりスタイルもいいしキレイなことこの上ないに違いありません。

そういうモデルさんが着ればどんな服でもそれなりに見えます。

「私は美しい女性のための美しい服を作る」と公言し
完璧な美を追求するデザイナーもいます。


一方、「足がグンバツな女(或いは男)」を起用することに否定的なデザイナーもいます。

過去、職業モデルを意図的に起用せずにコレクションを発表したデザイナーは少なくありませんし
アレキサンダーマックイーン身体障害者をモデルにしたことがあります。
また、97ssのコムデギャルソンのコブドレスや
94年前後のマルジェラのオーバーサイズをテーマとしたコレクションなどは
モデル(或いはそれくらいきれいな人)を起用しつつ
そのスタイルを変形させるという手法によって
モデルに代表される「規格化された身体」への違和感を表明していると捉えることも出来ます。


上記の議論は「ユニバーサルファッション」という問題とも密接に関連しています。
ユニバーサルファッションに何らかの形でコミットすることは
僕自身のキャリアプランにおける重要な目標の一つでもあります。



さて、ユニバーサルファッションの話をすると長くなるので
ここからは日常に目を向けてみます
(ユニバーサルファッションも日常の問題として捉えられるべきなのですが!)。

私たちの日常においては
「コレクションでその服をモデルが着たかどうか」
もたしかに重要ではありますが、より影響力が強いのは
「どの有名人が着たか」ではないでしょうか。

一昔前なら「キムタク着」、最近では奈良さんをはじめとした「king着」などの
フレーズをよくオークションで目にします。

マルジェラの商品に関しては「トム・ヨーク着」というフレーズが多いですね。


確かにキムタクも奈良さんもトムヨークも格好いい。
       ↓
格好いい人が着るとその商品がよく見える。
       ↓
商品がよく見えるから欲しくなる。


この構造は上記のモデルに関するものと同一です。


この服を着たら○○ほどではなくとも格好よくなれるかも。


この気持ちも自我同一性の形成過程に役割理論が影響していることを考えれば
理解できますし、むしろとても自然な発想のように思えます。


実際には基礎(人間)が違うわけですから
表面的なもの(商品)を通して他人のイメージを借用しても
うまく行くことの方が少ないのでしょうが
それでも借用したくなります。


○○着の商品を欲しくなる気持ちを否定する気はありません。

ただ一点注意していただきたいのは
○○着という商品には偽物が多いということです。


今オークションでよく出品されている
トムヨーク着のマルジェラのスキージャケット(ヤフオクで検索すればすぐに出てきます)。

あれは今のところどれも、恐らく、本物のようですが
多数出品されている今の流れに乗って
いつ偽物が出てくるか、分かりません。
その時、真贋判別できますか?
そもそも本物を見たことがありますか?
(実際mixi経由で複数の方から真贋についての質問を受けました)

あのジャケットと同様の値段でいい物は沢山あります。
リスクを犯してまであのジャケットが必要でしょうか。

「○○着というイメージ」と「偽物をつかまされるリスク」。
その2つを天秤にかけて
自己責任の下で行動することは
全ての消費者に求められることではないでしょうか。