たまには攻撃的に

今回の爆問学問は教育社会学本田由紀

彼女が著書で提唱するハイパーメリトクラシーには
共感するところが多いので興味を持って見ました。

が、正直言って
頭の固い優等生の自己肯定のための遠大なる回り道
としか思えませんでした。

自分は意味も分からない受験勉強を必死になってさせられた。
そこから抜け出すための能力も自分には無かった。
でも必死の思いで受験を勝ち抜いて社会に出ようとしたら
そこで求められていたのは受験勉強で求められる能力とは程遠い
人間力、企業との相性だったorz
こんな社会っておかしくない!?
変えようよ!!

という主張に聞こえました。

彼女はしきりに
「さまざまな物事の意味や意義が見失われている」
と主張するのですが
少なくとも受験に関して意味や意義を見失っていたのは
あなただけではないですか?
と問いたくなりました。

こういうと語弊があるかもしれませんが
僕は受験を楽しみました。

高校一年で○○大学進学クラス
なんてものに組み込まれ
それがいやで高校二年は海外逃亡。
一年間勉強はほとんどしませんでした。
高校三年で帰国して
私大を受けようと思っていたのですが
これで私大に受かっても大してネタとして面白くないなと思い
国立大を受けることにしました。
自分が一年間でどれだけできるか自分でも楽しみだったし
ゲーム感覚でテストの得点を伸ばしていくのも楽しかった。

受験で自分の能力と真正面から向き合ったことは
今でも自信になっていますし
どんな課題であれ要は自分との戦いだ
という僕の信念は
社会で生きていく上でも変わらないものです。

僕のこの経験は一般化できません。
そしてそれと同様に
本当は勉強なんかしたくなかったんだけど無理やりさせられたし
そこから逃げることもできなかったの。という彼女の主張も
共感される方も多々いらっしゃることでしょうが
一般化はできません。
家庭環境は様々です。

コンプレックスが偉大な研究者を生むことはままあります。
コンプレックスに根付いた偏った思想でも
それが真理をついていれば評価されうる。

しかし自分のコンプレックスから生じた思想を一般化するためには
そこに真理が必要です。

そもそも様々な物事の意味や意義とはなんでしょう。
個々人が種種の事象に見出す意味や意義に正解なんてあるのでしょうか。

僕はそれは個々人がそれぞれに見出せばいいのだと思っています。
見出すための手助けは時に必要かもしれませんが。

個人の経験に基づいた個人的主張なら
ブログあたりで表明するのが適切かと。