祈り

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僕は特定の宗教を信じているわけではないのですが
最近、祈ることの意味をすごく見直しはじめています。
以下思うことを書いてみますが
祈りの一側面を僕なりに捉えたものでしかないことを事前にお断りしておきます。

例えば、昨日まで参加してきたキリスト教系のキャンプでは
チャプレンが毎朝皆の前でこんな風にお祈りをします。

「キャンプも中盤を迎え、疲れがたまってきたメンバーがいます。
イライラしてしまっている人もいます。
自分の見たくない面に気付かされてしまう人もいます。
どうかその人たちが、そしてキャンプに参加する皆が
今日一日を心安らかに過ごせますように。
自分自身の色々な面を受け入れていける強さを持つことが出来ますように。
そして自分を受け入れるように、周りの人のことも受け入れていけるように
お導きください。」

これはチャプレンがキャンプに参加する子ども達やスタッフの様子をよく観察した上で
今必要だと思うことを祈りとして口にしたものです。

もし本当に疲れてイライラしている人に(言い方は勿論色々あるでしょうが)
「君は疲れてイライラしているんだよ。
もう少し落ちついて寛容になった方がいいんじゃないかな。」
と面と向かって伝えたら、そちらのほうが直接的でずっと簡潔だけれども
きっと言われたほうは少しヘコんでしまうと思います。
ひょっとしたら「イライラしてなんかいない!」と反発してしまうかもしれません。

二者関係の中で相手に直接言って聞かせるのではなくて
一緒に祈ることで相手の心に自然な形でメッセージを届けることができる。
これは非常に素敵なことだなあと思います。

言って聞かせるのではなくて一緒にやる。

祈りにはそんな教育の基本姿勢が含まれている気がしています。