ハンサム★スーツ

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塚地無我さん主演の映画ハンサム★スーツ(2008年)を見ました。

塚地さんが演じる主人公がハンサムに変身できる
魔法のスーツ(ハンサム★スーツ洋服の青山製)を手に入れて、
ハンサム(谷原章介さん)に変身。
女性の見る目は変わるはモデルに抜擢されるわで一躍人気者になるというお話です。

勿論それで終わりではなくて
その後色々あって主人公はハンサム★スーツを着続けるべきかの選択を迫られます。

「人はハンサム(美女)なら幸せになれるのか」
というのがこの映画のテーマかと。

映画として「ブサイクなら不幸でハンサムなら幸せだ」と結論するわけにはいかないことは
想像に難くないので(その真偽は不可知ですし)、
そこらへんの結論をどこにどのように落とすかに注目していたのですが、
やはり、というべきか結論は
「幸せは人それぞれ」に落ち着きました。

しかし一方で「そうは言ってもハンサム(美人)だと何かと得だよね」
という事実は至る所で(エンディングでも)主張されていて
「やっぱそうだよなあ。。。」とか思ってしまいました。


よくネット上では
「イケメンのユニクロ>ブサイクのハイブラ」
と言われたりします。
しかしそんなこと言ったってハンサム★スーツがない現実世界では
ハンサム(イケメン)かブサイクかを自分では選択できないので
「イケメンのユニクロ>ブサイクのハイブラ」
という図式は(たとえそれが真であっても)あまり意味はないんですよね。
むしろ知りたいのは
「おれのユニクロとおれのハイブラならどっちがいいか」なわけで(^^;

まあ、ユニクロだろうがハイブラだろうが
「結局は服なんて自己満足なんだから好きなもん着ればいいんだよ」
と言われればそれまでなのですが
そんなこと言い出したら「人生なんて自己満足なんだから好きに生きればいいんだよ」
とも言えてしまうわけです。
それはそれで一つの真理だと思うのですが
一口に好きに生きればいいとは言っても
場合によってはリスクを最小限に抑えてみたり
逆にあえてリスクを負って勝負に出てみたりといった判断は適宜必要であって
ただ適当に好きなことだけやって生きていれば
万事うまくいくというものでもないでしょう。

なんだか話が広がってしまいましたが結局何が言いたいかというと
ハンサムかブサイクかは自分では決められないから
持って生まれたものをうまく活かすような服を着るのがいいかもね
ということです、はい。

注:あれ、後半の話、映画とあんまり関係なくね?というのは禁句です。