もう消費すら快楽じゃない彼女へ

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現在、深夜の2時過ぎです。

田口ランディの1999年のコラム集
「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」
を読んでいたらすっかりハマってしまいました。

タイトルからしてブランド品を買い漁り、そしてもはやそれにすら快楽を見出せなくなっている
現代人を批判した本なのかなと思っていたのですが、
実際に扱われているテーマは世間を騒がせた殺人事件から著者自身のボランティア活動まで多種多様で
僕が予想していた内容とは大きく異なるものでした。

この本では、扱われている様々なテーマについて
著者本人が、或いはコラム中の登場人物が、独特の切り口から見解を示しているのですが
そのどれもが非常に面白い。

既存の理論を引っ張ってきたり、先人の発言を引用したりせず
著者自身の感性に基づいて、ここまで腑に落ちることを言えるというのは
本当にすごいと思いますし、感服してしまいます。

扱われているテーマが幅広く、それぞれの問題に関して共通する統一見解のようなものを
提示するのがこの本の目的ではないと思われるので、
一言でこの本がどういう本なのかを説明するのは難しいのですが
あとがきの文章がこの本の内容をよく示しているように思えたので
一部引用させていただきます。

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現実には力がある。
実は現実の方が本に書かれた世界よりずっと柔軟性があるんだ。
本を読みすぎると現実の柔軟性を失う。
考えすぎる者はいつも考えすぎて現実の柔軟性を失う危機に立っている。
現実はね、ぐにょぐにょ形を変える七変化だ。
ひょんなことから、何かが変わることもあれば、そうでもない場合もある。

世界は柔軟だ。
私はいつもそう思って世の中の事件を見ようと思っている。
答えはひとつじゃない。
現実は七味唐辛子だ。
いろんな味が混じって辛い。
ぼんやりと捉えるしかない。
言葉にしたところから嘘になる。

もし、あなたの子供があなたを憎み、あなたを殺そうとしたらどうしますか?
子供に殺されますか?子供を殺しますか?
その時あなたはどう行動しますか?

ふん、そんなことは、なってみないとわからない。
今日憎みあっても、明日は笑っているかもしれない。
それが現実の凄さだ。
10秒後には相手を許すかもしれない。
それが人間の凄さだ。
それを信じなければ変幻する現実は生きられない。
そう思うことが私の書くことの原点だった。
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現実の柔軟性を信じなければ生きてはいけない
と言葉にすること自体、現実や生き方を定義している(一般化している)ことになり、
柔軟性を損ないかねません。

個別性を志向する意識と一般化を志向する意識は常にせめぎあっています。

個別性だけでは前に進めない。
かといって一般化が過ぎると硬直化してしまう。

個別性と一般化という分かちがたい両者に対する田口ランディの距離の取り方と
それを的確に文章に出来る才能に
考えて考えて理論的に答えを出したがるタイプの僕は嫉妬してしまいました。