服なんてどうでもいい

仕事のことを考えてみると、多分一番仕事にうるさいのは
「入職2年目くらいで身の回りの仕事はきっちり一人でこなせるようになった頃の人」ではないでしょうか。

仕事上、どこに気をつければいいか、どこを外してはいけないかがわかっているだけに
「ここは抑えとけよ。」とか、「どうしてここを気をつけないんだ。」とチェックが厳しい。

もちろん入職当初からふわっとしていてそのまま行く人もいるわけですが。

もう少し上の立場になってくると
少し教育的な役割も生じてきて、今まで厳しかった人も
「厳しくすればいいってものじゃない。少しは息抜きして楽しく仕事をすることも重要だ。」
なんて思い始める。

でも中にはずっと厳しいままの人もいて
そういう人は職場で「怖い先輩」認定を受けたりする。


服もそんな感じで
「服を好きになってからしばらく経った人」
くらいが自分にも他人にも一番厳しい気がします。

「あそこの服はないわ。」とか「どうしてそれにそれを合わせるの。」とファッションチェックが厳しい。

もちろん最初から「服なんてどうでもいい」と服に興味を示さない人もいるわけですが。

もうしばらくすると、ちょっと余裕が出てきて、自分に対しても他人に対しても
「服なんてどうでもいいかも。お洒落頑張ってます感が出過ぎるのもイマイチだし。」
なんて思い始める。

でも中にはずっとこだわり続ける人もいて
そういう人は色んな薀蓄にやけに詳しくなったり、車や時計にもこだわり出したりする。


まあどの段階においてもその段階別の発達課題があるわけで
それはそれでいいと思うのですが
僕の少ない経験からすると、仕事においては
「入職当初からふわっとした人」より「一時期やけに厳しかった人」のほうが
最終的に「できる人」になる確率が高い気がします(あくまで僕の感覚です)。

そして、かつて厳しかった人とそうでない人の
「仕事なんて適当でいいんだよ」
では重みが異なる気がします。

同様に、同じ「服なんてどうでもいい」という発言でも
最初から「服なんてどうでもいい」と思っている人と
1回こだわってから「服なんてどうでもいい」と思うようになった人の
「服なんてどうでもいい」では質が異なる気がします。

例えば、服に興味がない人が
「服なんてユニクロで十分」と言うのと
服好きな人が
「服なんてユニクロで十分」と言うのでは
そこに含まれている意味が違う。

そして、きっと両者がそれぞれユニクロを着てみたら
ちょっとだけ何かが違うと思います。
それはきっとサイジングだったり、色あわせだったり、持って来る靴だったり、
ちょっとしたことだと思うのですが。


でも僕が今一番興味があるのはそこではなくて
仕事で言えば、職場で「怖い先輩」認定を受けた人、
服で言えば、「薀蓄野郎」が
最終的にどこへ行くのかということ。

都築響一に取材されてみたり
ブログで薀蓄を披露してみたり
ラギッドミュージアムに足繁く通ってみたり
シガーを嗜んでみたり。

卒業できない永遠の中学二年生がどういう大人になるのか。

多分どこかで本人も意図しないファニーさのようなものが生じてくると思うんです。
真面目に服と向き合い続けているがゆえのファニーさ。
それをどう消化して自分のものとするかにとても興味があります。
上手く消化できたらすごく面白い気がして。