計算不可能性を設計する

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今回はいつになく面倒くさい記事になる予定ですので
苦手な方はスルーしてください。


いつもお世話になっているmasaruyoさんから薦めていただいた
新成淳司(慶応大学講師)と宮台真司首都大学東京準教授)の対談本
「計算不可能性を設計する」を読み終えました。

ざっと通読しただけなので
細かい論点に関してはまた別の機会に記したいと思います。
今日は忘れないうちに読後の感想(主に前半について)を書き残しておきたいと思います。


この本は話のネタこそITですが
議論の本質は教育論であると感じました。


宮台真司には現代の若者に対する危機感があるように感じます。
彼の考えの根底には
全体性を参照できる(複数の専門性を持ちながら全体性を見渡せる)新しい知識人が
生まれてこないのではないかという危機感があり、
さらにそれがITの進歩に伴ってさらに助長されるのではないかと彼は恐れている。

他方、新成淳司は自身の教育経験から
机上の議論だけでなく、インターンシップを使って現場も経験させれば
学生は現場の人の視点を相対的に比較し、自分自身の知識と照らし合わせることで
そこに存在する課題や将来的な展望を自分なりに掘り起こせるようになる
と認識している。


誤解を恐れずに要約すれば宮台真司
ITの進歩により俯瞰的な視点を持ちつつ
自分で考えて自分の意志で取捨選択を行う若者はさらに減る
と考えています。

例えばアマゾンは消費者の購買履歴から
それぞれの消費者にお薦めの本を算出し提示してくれますが
アマゾンがお薦めしてくれる数点の本から一冊の本を選択して購入するのは
一見選択のように見えて真の意味での選択ではなく
アマゾンというシステムに取り込まれた結節点として機能しているに過ぎない。
選択しているつもりで結節点に成り下がってしまう人間が今後増える
それでいいのか?百歩譲って増えることはいいとしても全員がそうなっていいのか?
というのが彼の問題意識です。
高城剛あたりの主張と似ている気がします。

(僕もセレクトショップで服を買うのはあまり好きではありません。
既にセレクトショップのフィルタがかかっているので自分で選んだ気がしないのです。
まあバーニーズとかで買うこともありますが。。。)


翻って新成淳司は
何がやりたいのか夢を持っていない学生は多いが
現場でバリバリ働いている若い奴らの中には専門的な知識をもちつつ
社会・時代性の中での自分の立ち位置をしっかり俯瞰できている者もいるとの認識から
ITが進んだからといって人間が主体性や全体を見渡す力を失うとは考えていません。


この本は両者のこの異なる認識の下
ITを設計する者(ITアーキテクト)はどうあるべきか
という議論がなされています。


ITについてああだこうだ言ってみたり
社会学についてああだこうだ言ってみたりするわけですが
要は「ITはどんどん進んでいくけど人間は大丈夫なのか?」
という問題についての議論が収められた本(繰り返しますが特に前半は)なわけで
「人間が主体性を保ち続けるためにはどのような教育が必要か」
という議論がなされているように感じました。
間違っていたらごめんなさい。



ITに関しては完全に門外漢なので
本書の本質である(と僕が考える)教育について
少し思う所を書いてみたいと思います。


僕のキャンプ仲間に大学で法学を教えている人がいるのですが
彼は大学助教授であると同時にプロのカメラマンでもあり
マックを使いこなし(実際に関連雑誌に連載も)各種楽器も弾きこなします。

どんな道を歩もうが社会で成功するだろうなと思わせる彼に
以前尋ねたことがあります
「どうして法学を選んだの?」と。

すると彼は即答しました。
「法学でも何でもよかったんだ。僕は教育がしたかった。
ただ教育っていうのは説教することや知識を教えることじゃない。
知識なんてこの時代、ネットで調べれば一週間もあれば
それなりのものを身につけることができるじゃない?
要はネットで調べようと思うかどうかなんだよ。
問題は主体性を引き出すことであって、
ネットで調べてみたいと思う気持ちを引き出すことが教育者の仕事なんだよ。
educationの語源は〝引き出すこと"だからね。
ただ面白さをとうとうと語られても嫌気がさすでしょ?
ラーメン店の行列を作るのは店主の味自慢じゃなくて、実際に食べた人の評価。
ある学問を実際にしている人が本当に面白がってその学問をしていたら
何をやってるんだろうって人は寄ってくる。
そこからその学問に興味を持ってネットで色々調べる。
そうなったらその人はもう自然に伸びていくんだよ。
だからまずは自分が楽しむこと。
勿論、法学はとっても面白い学問だしね。」

この答えをよどみなく答える彼を見て
僕は「この人の授業を受けてみたい」と思いました。
聞けば授業は講義形式はほとんど取らず相互コミュニケーション的なスタイルだとか。

彼の専門とする領域は近年需要が高まり今
とても注目を集めている分野です。

「計算不可能性を設計する」の著者(対談者)の一人、新成淳司が専門とする分野も
日進月歩の分野でしょう(詳しいことは知りませんが)。


やはり勢いのある分野の専門家にはどこか社会に対する絶対的信頼とでも表現すべき
ポジティブな姿勢があるような気がします。


僕は批判よりもほめることの方が成人教育においては意味があると思っています
(勿論両方必要ですし、日常生活では批判しまくりですが)。
そしてその意味で本書では新成淳司の方に共感しました。
批判して警鐘を鳴らすより
信頼して一緒に未来を考える
自分はそうありたいし、このブログもそういう姿勢で書いていきたいなと
この本を読んで思いました。