物語消費
僕は「物語」にとても興味があります。
大塚英志は物語についての著書、「定本物語消費論」の中で
ビックリマンチョコレートを例に出して持論を展開しています。
大塚の論旨を要約すると
----------------------------------------------------------------------
ビックリマンチョコレートのおまけである
ビックリマンシールの表面には個々のキャラクターが描かれており
その裏面には「悪魔界のうわさ」という個々のキャラクターに関する
短い情報(小さな物語)が記されている。
小さな物語では単体ではあまり意味を成さないが
それらを集めていき情報を集約することでその背後にある
ビックリマンの世界観(大きな物語)にアクセスすることが可能になる。
一枚一枚のシールを集めて小さな物語を収集し
大きな物語に触れた消費者が
さらに一枚一枚の小さな物語の収集に走る。
この構造がとても面白く、またよくできている。
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大塚が主張するこの構造はファッションにも当てはめることができます。
またマルジェラの例で恐縮ですが
一つ一つの商品(ここではわかりやすさのために14のレプリカと仮定します)には
デザインというメッセージ(小さな物語)
或いはレプリカの元ネタに関する短い情報(小さな物語)が記されています。
服一着一着を見ればそれは「ひねりのきいた服」や「おしゃれな服」でしかありませんが
それらを集め、さらには複数のコレクションに触れることで
マルジェラの世界観(大きな物語)にアクセスすることが可能になります。
そして一着一着の服を集めて小さな物語を収集し
大きな物語に触れた消費者が
さらに一着一着の小さな物語の収集に走る。
ビックリマンと同じ構造がここにあります。
僕のこのブログにしても複数のマルジェラの服をアップすることを通して
マルジェラの世界観を自分なりに少しでも理解しようという
心理が無意識的であれ働いているように思います。
さらに大塚は同じ著書の中でディズニーランドについて言及し
面白いことを言っています。
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一つ一つのお話(不思議の国のアリスやピーターパン)の集合体として
ウォルト・ディズニーの提示する世界観を具現化したものが
ディズニーランドである。
ディズニーランドは実体化した虚構であり
その点で所謂アミューズメントパークとは異なる。
さらにディズニーランドの乗り物系のアトラクションは
進行速度が基本的に速いため
乗車中に得られる情報は断片的で
乗り手は個々の断片的な情報をつなぎ合わせて
自分の中で物語を構築する必要がある。
ディズニーランドは意識的にこのようなスタイルを取っているのだろう。
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全ての情報が物語として完成形で提示されると
人はそのうちそれらの物語に飽きてしまいます。
だからディズニーランドはあくまで断片的なイメージだけを提示し
物語が毎回微妙に違う形で個人の脳内で構成されるように仕組んでいる。
ファッションも全力で全てのコンセプトをデザインに乗せてしまうと
アートとしてはいいかもしれませんが
そこには人が介在する余地がなくなってしまいます。
またマルジェラの話になりますが、もしもマルジェラが
「僕のクリエイションの原点は再構築だ。
ヨーロッパはそもそも階級社会で服は社会的記号として機能していた。
そこにカウンターとして現れたのがコムデギャルソンだ。
ギャルソンは既成概念を破壊した。
僕はさらに破壊の先にあるもの、再構築を目指したいんだ。
だからリメイクもするしレプリカもするよ。」
とインタビューで言い切ったら
「なるほど!」と思う反面、「やっぱりそうか」と少しがっかりする気がします。
そこは消費者が想像するから楽しいのであって
個々の消費者がマルジェラのコレクションを意味づけて
自分なりに物語を構築するから楽しいのだと思います
(そうでなければ説得力もありませんし)。
マルジェラ側もそれをよくわかった上でイメージ戦略を立て実行している。
こういう姿勢も含めてやはりすごいブランドだなあと思います。
大塚の本は90年代初頭に書かれたものであり
ITの発達した現代にはややそぐわない面もあります。
この本の内容のみで現代のファッションを読み解くのは不可能です。
この本を受けて東浩紀などがよい本を書いていますから
それらを含めた考察が必要だと思います。
が、
それはまた別のお話。
大塚英志は物語についての著書、「定本物語消費論」の中で
ビックリマンチョコレートを例に出して持論を展開しています。
大塚の論旨を要約すると
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ビックリマンチョコレートのおまけである
ビックリマンシールの表面には個々のキャラクターが描かれており
その裏面には「悪魔界のうわさ」という個々のキャラクターに関する
短い情報(小さな物語)が記されている。
小さな物語では単体ではあまり意味を成さないが
それらを集めていき情報を集約することでその背後にある
ビックリマンの世界観(大きな物語)にアクセスすることが可能になる。
一枚一枚のシールを集めて小さな物語を収集し
大きな物語に触れた消費者が
さらに一枚一枚の小さな物語の収集に走る。
この構造がとても面白く、またよくできている。
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大塚が主張するこの構造はファッションにも当てはめることができます。
またマルジェラの例で恐縮ですが
一つ一つの商品(ここではわかりやすさのために14のレプリカと仮定します)には
デザインというメッセージ(小さな物語)
或いはレプリカの元ネタに関する短い情報(小さな物語)が記されています。
服一着一着を見ればそれは「ひねりのきいた服」や「おしゃれな服」でしかありませんが
それらを集め、さらには複数のコレクションに触れることで
マルジェラの世界観(大きな物語)にアクセスすることが可能になります。
そして一着一着の服を集めて小さな物語を収集し
大きな物語に触れた消費者が
さらに一着一着の小さな物語の収集に走る。
ビックリマンと同じ構造がここにあります。
僕のこのブログにしても複数のマルジェラの服をアップすることを通して
マルジェラの世界観を自分なりに少しでも理解しようという
心理が無意識的であれ働いているように思います。
さらに大塚は同じ著書の中でディズニーランドについて言及し
面白いことを言っています。
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一つ一つのお話(不思議の国のアリスやピーターパン)の集合体として
ウォルト・ディズニーの提示する世界観を具現化したものが
ディズニーランドである。
ディズニーランドは実体化した虚構であり
その点で所謂アミューズメントパークとは異なる。
さらにディズニーランドの乗り物系のアトラクションは
進行速度が基本的に速いため
乗車中に得られる情報は断片的で
乗り手は個々の断片的な情報をつなぎ合わせて
自分の中で物語を構築する必要がある。
ディズニーランドは意識的にこのようなスタイルを取っているのだろう。
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全ての情報が物語として完成形で提示されると
人はそのうちそれらの物語に飽きてしまいます。
だからディズニーランドはあくまで断片的なイメージだけを提示し
物語が毎回微妙に違う形で個人の脳内で構成されるように仕組んでいる。
ファッションも全力で全てのコンセプトをデザインに乗せてしまうと
アートとしてはいいかもしれませんが
そこには人が介在する余地がなくなってしまいます。
またマルジェラの話になりますが、もしもマルジェラが
「僕のクリエイションの原点は再構築だ。
ヨーロッパはそもそも階級社会で服は社会的記号として機能していた。
そこにカウンターとして現れたのがコムデギャルソンだ。
ギャルソンは既成概念を破壊した。
僕はさらに破壊の先にあるもの、再構築を目指したいんだ。
だからリメイクもするしレプリカもするよ。」
とインタビューで言い切ったら
「なるほど!」と思う反面、「やっぱりそうか」と少しがっかりする気がします。
そこは消費者が想像するから楽しいのであって
個々の消費者がマルジェラのコレクションを意味づけて
自分なりに物語を構築するから楽しいのだと思います
(そうでなければ説得力もありませんし)。
マルジェラ側もそれをよくわかった上でイメージ戦略を立て実行している。
こういう姿勢も含めてやはりすごいブランドだなあと思います。
大塚の本は90年代初頭に書かれたものであり
ITの発達した現代にはややそぐわない面もあります。
この本の内容のみで現代のファッションを読み解くのは不可能です。
この本を受けて東浩紀などがよい本を書いていますから
それらを含めた考察が必要だと思います。
が、
それはまた別のお話。