笑いについて

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奥さんの笑顔が好きです。

でももしも奥さんがいつも笑っていたらちょっと怖い。


大学時代の英語の教科書に載っていた論文には
笑い声のように特定の高さの音を一定の間隔で発する行為は
生態学的には自分が属する群れに安全性を伝えるための手段である
ということが書かれていました。

危険性を感じて張り詰めていた空気が解かれた時
それがもはや危険ではなく安全であることを周囲に伝えるために笑いは生じる、と。


例で挙がっていたのはお葬式のコント。
社会通念上、絶対ふざけられない状況。
そんな状況で熟睡していびきをかいてしまうコメディアンが笑いを誘う。

漫才で言えばボケがちょっと意味がわからないことやズレたことを言う。
それ自体、一般的に予想される話の流れという緊張感から聴衆を解放して笑いを誘う。
さらにツッコミがそれを常識的な話の流れに再度引き寄せることで
ボケの意味が理解できないという不安感から聴衆を解放し
安心した聴衆からまた笑いを誘う。


笑いってそんなものだとその文章は主張していました。


さて、何が言いたいかと言うと
笑いが生じるためには緊張感や不安が必要だということです。
だから原則としていつも笑っているということはありえない。


緊張感があったり不安があったりするような状況の中でこそ笑顔は生まれるわけで、
決して楽しいことばかりではない人生の中で
奥さんが笑いかけてくれる対象が僕であったらいいなと思ったりするわけです。