価値と好き嫌い

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C.ウィットベックの「技術倫理」という本を読みなおしました。
技術者がどのように業務につきまとう倫理的な問題に対応していけばよいかを示したよい本で
2000年に第1刷が発行されて、現在第7刷まで出ています。

この本の中で「価値」と「好き嫌い」について概ね以下のような説明がなされていました。

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あるものが善いか悪いか、望ましいか望ましくないかと問うことは
「価値」について問うことであり、「価値判断」を伴う。

あるものに価値があると主張する場合には、それを主張する人ではなく
そのもの自体について述べられているべきだ。

そしてアリストテレスが指摘したように
あるものが善い或いは望ましいと主張することは
(その種のものに)求められることが理にかなっているような性質が
そのものに備わっていると述べることである。
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さらに好き嫌いについてこのような説明が。

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「私はフライドペッパーが好きだ。」
「私はご近所が猫を飼うことに断固反対する。」
これらはいずれも「選好命題」、つまり好き嫌いに関する主張である。

選好命題はあるものが何らかの点で善いか悪いかに関する判断ではない。

選好命題は価値判断とは異なり、、
例えば「私はフライドペッパーが好きだ」という選好命題は
フライドペッパーについてというより、むしろ主張している私についての言及である。
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要は、価値があるかないかという問題(価値判断)は
「そのもの自体が、期待される性質を有しているかどうか」を示すもので、
好きか嫌いかという問題(選好命題)は
「私がどういう好みを持った人間なのか」を示すものだということです。

当たり前と言えば当たり前なのですが
なかなか怖い話だなと思って読みました。

ブログで服のことを書いていると
どうしても自分の好き嫌いというのは文章の端々に出てしまいます。
それらがつまりは僕がどういう人間かについての言及なのかと思うと
丸裸になったような気がしないでもないです(^^;

まあしかし、どういう枠組み(どういう性質が今服に求められているのか)のもと、
この服にどういう価値があると考えられるか(その性質をこの服が満たしているかどうか)
という話ばかりしていても肩がこりそうですよね(笑)

「私はこの服にこういう価値を見出しているんだ」
という書き方も一見価値判断のように見えて実は選好命題で
自分自身に関する言及にしかなっておらず
自分の好き嫌いでしかないものを、価値の有り無しに置き換えてしまっている可能性があります。
その点については今後気をつけていきたいなと考えさせられました。


追記:
C.ウィットベックの「技術倫理」と姜尚中の「悩む力」、宮台真司の「14歳からの社会学」は
どれも非常に面白かったです。
共通点は「自分で試行錯誤しながら自分自身と社会を設計していく必要がある」と説いていること。
こういうのが好きな方には非常におすすめです。