ミクロとマクロ

僕の仕事は「多くの人の話や意見をまとめること」と言っていいものです。

仕事として誰かの話を聞く時は
「その人の意見を最大限に引き出す」
よう留意しています。
出来ているかどうかは別にして
そう心がけて話を聞いています。

ミクロな対象である個人の意見に
「正しい」も「間違っている」もありません。

それはその人の意見としてそこに存在しているからです。
存在を否定することはできません。

でもミクロな個人の意見をまとめて
マクロな「総意」のようなもの、
ゆるやかであれ一定の方向性を持つ主張のようなものを得ようとすると、
どうしてもそこから落ちてしまう意見というものが多少なりとも存在します。

また「正しいこと」も「間違っていること」もないはずの個人の意見でも
社会というマクロな枠組みと対比すれば
許容することが難しい(ex.法に触れる、制度上実現不可能etc...)意見というものも存在します。
ただし、「個人の意見」が間違っているのか、それとも「枠組み」が間違っているのかは
判断が難しいところなのですが。


僕は受験生の頃は、マクロを志向する人間でした。
漠然と、何か社会に評価されることをしたいと考えていました。

でもそれは非常に漠然とした目標だったので
大学に入って大学名だけでそれなりの社会的評価を得られるようになった(ように当時は思えた)時点で
マクロに対する志向性は薄れてしまいました。
もしかしたらマクロを志向しているようで
自分自身が社会から評価されたい、というミクロなものを志向していただけだったのかもしれません。

それもあって僕は大学ではミクロを志向しました。
要は「社会的な評価は大体得られたから、これからは目の前にいる一人一人からの評価を得られるようにしよう」
と思ったわけです。
教養を身に付けて人と話せるようになりたいとかそういうことを考えました
(しつこいようですがそれが出来たかどうかは別問題です)。


以来ずっとミクロ方向に攻めていたのですが
ここ3年くらいでその考えがまた少しずつ変ってきました。

と言うのは、やはり複数の方々からお話を伺っていると
やはりそこには何らかの共通の方向性(=『マクロな「総意」のようなもの』になりえそうなもの)
を見出すことがあったからです。
そしてそれらの多くは、とても切実で、重要な指摘であるように思えたのです。

目の前の人の話を聞いて、それを承認する。
そのミクロなアプローチはとても大切です。
その一つの承認が
目の前の人にとって大きな意味を持つことは往々にしてあるでしょう。

でももう一つのアプローチとして
その人(たち)の話をある集団のマクロな「総意」として
外部に提示していくことも
時には必要なのではないかと思うようになってきました。
マクロなアプローチをして枠組みを変えないと
ミクロなアプローチだけではどうしても解決できない「目の前の問題」も勿論あるわけで。。。

ただ後者がごく一部の人の意見に偏ってしまってはいけないので
色々な人の意見を聞くことが不可欠です。
より多くの人から、より率直で、より多様な意見を聞く。
そしてそこに総意のようなものが、もしもあるなら、それを提示する。


誤解を恐れずに言うなら
前者のアプローチはカウンセリング的なアプローチであり
後者のそれは政治的なアプローチだと言えるかもしれません。


偉い人がトップダウンで意思決定するのではなく
ボトムアップで意思決定をはかる
或いは意思決定まで行かなくとも意思決定のための基礎資料を提示する。
それが僕の目標なのですが
問題はボトムアップの過程に、僕という「個人」が大きく介在してしまうことだったりします(汗)


まあそれは置いておいて、近年こういったマクロなアプローチを意識するようになってから、
私的なレベルでのコミュニケーションがうまくいかないことが増えたように思います。

個々人のコミュニケーションは(特にそれが私的なものであれば)ミクロなものです。
目の前の人が大切。

でもふと気付くと、目の前の人をマクロな対象のうちの一人、"one of them"として
扱ってしまっていることがあるのです。
その人がどういう人なのか、その人の主張はどこにカテゴライズされる種類のものなのか
そういう意識で話を聞いてしまう。
「正しい」「間違っている」の二元論までは単純化しないけれど
「どのタイプか」まで、反射的に単純化してしまうのです。


ミクロなアプローチも
マクロなアプローチも
どちらも大切だと思います。
それをうまく使い分けられる人になりたい。

そのために必要なのはやはり目の前の人に対する「誠意」なのではないかと
最近改めて感じています。
カウンセリングも政治も目の前の人のためにならなければ
意味がないでしょうから。


さて、明日(1日)から一週間、例年のように小学生とキャンプに行ってきます。
キャンプは純粋にミクロなアプローチです。
それぞれの子どもがキャンプを通して
どこか少しでも成長してくれればいい。
キャンプで顔を洗って出直してきます。