メゾンマルタンマルジェラという博物館

昨日のニュースに伴って、色々な反応や予測が出てきているようです。

この機会に、以前限定公開した記事に一部加筆したものを公開したいと思います。

あくまで私見ですので批判や異論もあるとは思いますが、それらも含めて、
マルジェラがデザインから退き、デザインチームがデザインを担当していくことの意味を考えていく際の
何らかの資料となれば幸いです。




遅れ馳せながら、90年代の服に触れたり、当時の写真や記事を見たりして感じるのは、
今のメゾンマルタンマルジェラは博物館のような存在だ、ということ。


80年代から90年代のマルジェラは
「博物館に所蔵されるアイテムを作る側」の存在だった。

未分化で、荒削りで、実験的で、理解しがたい服。
消費者やジャーナリストはそれを着て、見て、触れて、それぞれに空想をめぐらせる。

なぜ人形の服を等身大に拡大するのか
なぜ過剰なまでにオーバーサイズの服を作るのか
なぜ服をフラットにするのか
なぜ服(時にモデルも)をペイントするのか
なぜモデルの顔を覆うのか
なぜマリオネットに服を着せるのか
なぜ服にカビを生やすのか

それらすべては服(とショウ)を通したマルジェラの「表現」であり
マルジェラ自身もそれらを完全に言語化して、説明しきることはできなかったのではないかと思う。

マルジェラのショウはまさにマルジェラ自身を「表現する」場だった。

ちなみに、エルメスでのマルジェラの仕事は
マルジェラ自身ではなく、エルメスとは何か、の表現であり
エルメスと同義である、ラグジュアリーとは何か、エレガンスとは何か、クラシックとは何か、
を表現するものだったのではないかと思う。


少なくともこの時期までのマルジェラは
エルメスのデザイナーを兼任していた時期をどう扱うかは難しいけど)「表現者」だった。

彼は「表現」をする。
そして、消費者、ジャーナリスト、時にマーク・ボスウィックやジェイン・ハウらが
それを「解釈」し、なんらかの「説明」を試みる。

そういう図式だった。


その図式に変化が訪れた最初の転換点は
ラインが多様化し始めた97年だったのではないかと思う。

今まで未分化で、言語化して説明しきることが難しかったマルジェラが自ら
自身を分解・細分化し、それぞれに意味を持たせ始めた。

1はコレクション。
0はアーティザナル。
10はメンズ。

今まで渾然一体としていたものが分解され、明確な役割を与えられた。
ここらへんからマルジェラによる、誤解を恐れずに言えば、メゾンマルタンマルジェラによる、
マルジェラを、わかりやすく説明・提示する行為が始まったように思う。

「表現する側」だったマルジェラは「説明と提示をする側」にまわりはじめた。

その転換点からさらに時を経て、
今ではライン数はもっと増えて、マルジェラはより分解され、
わかりやすい形で説明・提示されている。


今のメゾンマルタンマルジェラが行っているショウは、純粋な意味での「表現」ではない。
博物館の企画展のように「今回はこんな観点(テーマ)から服をまとめてみました」という類いのもののように思える。

マルジェラの(時に服飾史の)過去のアーカイブスに言及し、引用し、まとめて、わかりやすく、提示する。
それが今のメゾンマルタンマルジェラの仕事だ。
毎シーズンリリースされる定番商品は恒久展示。
復刻リリースされる過去の名作は所蔵品のレプリカ(或いはミニチュア)販売。

自己言及とキュレーションで成立しているのが今のメゾンマルタンマルジェラだ。

だからMOMUでの20周年記念展示やラグジュアリーファッションの欲望展などの、所謂「展示」で、
メゾンマルタンマルジェラは一番活き活きして見えるし、映える。


それでも、メゾンマルタンマルジェラの服を買うのは
彼らの提案する企画展が、企画展として、面白いから。
恒久展示品の完成度が高いから。
今ではレプリカしか手に入らないから。




キュレーターとデザイナーの働きが本質的にどう違うのか、両者に求められる才能がどう異なるのか
具体的なことを僕は知らないのですが、それでも、
キュレーターとしてのメゾンマルタンマルジェラは優秀なように思えます。

他のデザイナーを新デザイナーとして迎えるということは
キュレーターとして仕事を続けてきたメゾンマルタンマルジェラ
もう一度、デザイナーとして機能させることを意味すると思います。
でもレンゾロッソとメゾンはそれを選ばなかった。

今後メゾンマルタンマルジェラの(レンゾロッソの言う、若く、フレッシュな)デザインチームが
キュレーターを目指すのか、デザイナーを目指すのかはわかりません。
それを見据えていかなければいけない、と個人的には思っています。