mixi ベンヤミン ワールドビジネスサテライト

今回の記事は重ったるいので読み流すくらいで丁度いいと思います。
読まないという選択をされたあなたも素敵です。


mixiのマルジェラコミュニティに、或るトピックがあります。

トピックを立てた方の主張は
「個人的には本物じゃないと落ち着かないけど
 偽物のクオリティが本物と同等なら、ある意味それは本物じゃない?」
というもので、この主張に対し各人がコメントを寄せています。
僕自身も拙い私見を記させていただきました。

掲載された発言を見てみると
「正規店での購入はブランドへの投資と消費者の安心のためでしょ」
「何を買うかは個人の問題じゃない?」
という意見が大半のようです。
ちなみに僕はどちらかといえば前者派。

この問題に関する私見については以下をご参照ください↓
http://blogs.yahoo.co.jp/margielamarni/1487081.html

なんでも個人の自由だけで片付ける後者の意見はあまり好きではありません。
ただ個人主義というのは特に自由という概念があいまいなまま受け入れられている日本では
アメリカとヨーロッパでも自由の捉え方は違うといわれているので一概には言えませんが)
強烈な効力を持っており、それはこの問題についても然り、です。
(自由ってのは大変です。やれと言われたことをやってるほうが楽なこともあります。
ここらへんについてはサルトルがわかりやすいことを言っています。)


ヴァルター・ベンヤミンは著書「複製技術時代の芸術作品」において

芸術家のオリジナル作品には
神・自然から一回だけ模倣して創り出された物にしか存在し得ない
アウラ(オーラ)」がある。
複製技術による生産物はアウラの宿った作品を二次的、三次的に真似しているために、
アウラがもうそこには宿ることがない。

と主張しました。

この主張は要は
いま、ここに、唯一つ存在するものの価値、重み、権威が大切だ!というものです。

オートクチュールが衰退し
大量生産されたプレタポルテが主流となっている現在では
ベンヤミンの主張を引用して
偽物反対!と言うのは難しいでしょうね。

また、ベンヤミンの主張の亜流であろう
「本物だけにパワーがある、魂が込められている」
といった主張も「何を買うかは個人次第じゃない?」という
個人主義に回収されてしまうでしょう。
(なんか納得行かないけど)。



さて、先日TVのニュース番組、ワールドビジネスサテライトを見ていたら
特許庁が模倣品・海賊版撲滅のために
偽物と本物の比較展示を始めたというニュースが報道されていました。

このニュースに関するヤフーニュース記事へのリンクはこちら↓
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071218-00000073-mai-bus_all
ついでに特許庁の偽物撃退マニュアルへのリンクも張っておきます↓
http://www.jpo.go.jp/torikumi/mohouhin/mohouhin2/kanren/nisemono_gekitai/index.html

そのニュースの中でコメンテーターが

偽物の流通に関する問題は麻薬の流通に関する問題に似ている。
南米の麻薬生産業者を摘発しても
麻薬に対する需要がある限り麻薬の流通は止まらない。
本気で叩くなら生産者を叩くだけでなく
シンガポール政府のように買う側や輸出入業者も厳しく摘発すべきだ

という旨の発言をしていました。

その通りだと思います。

本気で偽物に対抗するなら
主に東南アジアに存在する偽物製造業者や
ネットに溢れかえっている偽物販売業者の摘発だけでなく
そこに介在する輸出入業者や買う側も厳しく取り締まらなければいけない。

その通り。


個人的には消費者一人一人が
偽者を購入することによってデザイナーのクリエイションが圧迫されることを自覚し
モラルをもって行動することが一番だとは思います。
しかし、mixiでもご指摘をいただいたように
それが難しいのは厳然たる事実でしょうし
多くの人間に同じ方向を向かせようとするのは全体主義的でオヤジくさいという批判もあるでしょう。


偽物買うのも個人の自由じゃない?という個人主義に安易に流されず
偽物の流通を阻止するためには
特許庁もここ数年本腰を入れて模倣品・海賊版問題と向き合っているようですし
法整備に期待するしかないか。


ただ法整備が待たれる数ある問題の中で
そこまで優先されるべき問題なのか?という点については疑問が残ります。