超越者としての美 個と集合

今週のNHKの爆問学問で哲学者の佐々木健一先生が爆笑問題と対談していました。
その中で、佐々木先生は


「美は我々人類を謙虚にさせる唯一のもの。
つまり、自分を超えるものが存在することを認識できる術だ」

と発言していました。


芸術においては
考えて考えて計算を重ねてデザインしたものを
無意識的に作ったものが
ふと飛び越えてしまうことがある。
そういうものを目の当たりにした時
人間は自分が超えられないものの存在を認識し
謙虚になる。
それこそが美の持つ力だ。

というのが佐々木先生の主張だと受け取りました。


それに対して太田さんが
「芸術が目指すべき一つの課題は聖書を超えたものを生み出すこと。
聖書がすばらしいのは合作だからだ。」
という旨の発言をされていました。

宗教的な意味を持つ聖書を一つの読み物として扱うと
怒られてしまいそうですが
たしかに聖書は多くの人々によって改変を加えられてきたものであり
だからこそ、一つ一つの文単体でも多くの人の心をつかむ力を持っているのだと思います。


個を簡単に飛び超えてしまう美。

個の集合から生みだされた聖書。


服に関して言えば、現在では才能のある一人のデザイナーが
デザインするのが主流でしょうが(二人組みのデザイナーも多いですが)
これだけ情報のやり取りも容易になっているわけですから
今後はデザイン集団やメゾン単位でのデザイン、
さらに、ブランド間のコラボレートを通した
合作としてのデザインが
もっともっと台頭してきてもいいのではないでしょうか。


一人のデザイナーの孤高の世界観を体現した服ももちろん面白いのですが
多くの人の手が加わり、より多くの人々の心をつかむ力を持った服というのも
見てみたいなあと思います。


多くの人が絡んだとき
みんなが妥協できる地点を探してしまうと
ユニクロのような当たり障りのない普通の服ができてしまうでしょう。
それを実際に行えているユニクロはそれはそれで本当にすばらしいのですが
多くの人が絡んで
そのすべての人が心動かされる服。
そんなものは存在しえないのでしょうか。