服の価値

ブログをやられたことがある方なら
ブログにアップすることを目的として写真を撮ったことがある、
という方は少なくないと思います。

もちろん被写体を写真に収めたくて写真を撮ってはいるのだけど
「これ撮ってブログにアップしよう」というのも
写真を撮る上での一つのモチベーションになっている、という。

こんなことを言うと「本末転倒だ」と怒られそうですが、
私物を晒すブログをやっていると、
服に関しても似たようなところが少なからずあります。

もちろんその服を着たくて服を買ってはいるのだけど
「これ買ってブログにアップしよう」というのも
その服を買う上での一つのモチベーションになっている、という。

でも、まあそうは言ってもちょっと前まで、僕にとってブログという存在は
自分の消費行動にそこまで影響を及ぼすようなものではありませんでした。

「ちょっと前までは」という但し書きを付けたのは
一月ほど前に始めたツイッターや、
先日のElasticさんのコーディネート批評会に参加させていただいたことによって
自分の感覚に多少なりとも生じてきた変化を、無視できないでいるからです。

今までは「服を買ってブログで晒す」という形のみだったのが
最近では「買った服を晒したブログが自分の名刺代わりになる@ツイッター
「服をコーディネートしてセンスを評価してもらう@コーディネート批評会」
という形も十分にありえるんだなあと、驚きをまじえつつ感じずにはいられません。

今までは「服は買って、着て、街に出て、人に会って」なんぼだったのに、
今では(少なくともネットの一部では)
「服を買って、ネットに晒して、それをベースにしてコミュニケーションをとる」
ということが可能になっている。

勿論僕も基本的に服は着てなんぼだと思っているのですが、
「服を着ない服の使い方」というのが、最近は(主にネット上で)成立しうるんだなあと。

「着ないでも、見ているだけでも、楽しい服」という服の価値は
今後、存在する余地があるのでしょうか。

マルジェラの最近のアーティザナルなんかはそんな感じなのかもしれないなあと、ぼんやり思いました。