生暖かい気持ちで読んでください

僕が尊敬する人から言われた言葉で
これは。と思ったものの一つに
「知識は溜めておくと腐る」
という言葉があります。


日本の専門家は専門的知識は豊富だがそれを表現するのが苦手である
他方、海外の専門家はそこまで知識がなくても自分の知識を最大限にアピールしてくる
といった指摘は比較的よくあるものです。

このような差異の背景には日本の専門家の意識の根幹に
「知識は財産」という発想があるのではないかと推察します。

知識を公開することは不特定多数の他者の啓蒙につながり
それは、現状では知識を専有している自分の地位が脅かされることにつながる。
という発想です。

しかし、知識の公開が本当に(提供者の地位を脅かすほど)他者の啓蒙につながるかというと
甚だ疑問です。


保健医療の世界では1950年代頃から
KABモデルというモデルが提唱されてきました。
これは対象者に
知識(knowledge)を提供するとまず態度(attitudes)が変容し、次いで行動(behavior)
が変わるというモデルです。

しかしその後、知識(情報)を与えても行動変容には至らないことが多くの研究で報告され
現在ではK、A、B以外に、個々人の判断法や信念、自信に対して
個別的且つ継続的に働きかけることが重要だと考えられるようになっています。


KABモデルの崩壊(少なくともそれだけでは十分ではなかった)が示唆するのは
知識を得ることが行動変容には直接的にはつながらない
ということです。

知識をどう行動につなげるか、その過程にこそ本質的な困難があり
その過程にどう働きかけるかこそが専門性が発揮される場なのではないでしょうか。


冒頭の「知識は溜めておくと腐る」
という言葉が意味するものをもう少し補足すると
「知識はただ持っているだけでは意味がない。
知識は使ってなんぼだが、いつ、どう使うかが問題だ。
そしてそれこそが専門性であり、智慧である。
ただ知識を持っているだけでは使い方を身に付けられず
果たして知識は使われず終わってしまう。」
ということになると思います。


このブログの記事の中で僕は自分の数少ない知識を可能な範囲内で提示してきたつもりです。
そのやり方が本当に適切だったかどうかはわかりませんが
記事に対する皆様のコメントなどを通して
提示してきた(つもりの)知識よりも沢山の知識を頂きました。
専有していた微々たる知識を捨てること、
より正確には専有しているという認識を捨てることで智慧を得た
そんな気分です。

なんかしんみりしてしまいましたが
訪問者数50000人突破記念のご挨拶に代えてということで
お許しください。

今後とも宜しくお願いいたします。