山口富蔵さんの話

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今回の「プロファッショナル 仕事の流儀」に登場したのは
和菓子職人の山口富蔵さんでした。

番組の中で山口さんは
「お菓子は言ってみればただの食べ物でしかないんだけど
そのお菓子がどれくらい人の想像を膨らませられるか、どれくらい世界を広げられるか
それが人を楽しませるんです。
そういうお菓子を作るためには自分が美術館に行ったりして、色んなことを勉強しないといけない。
ただ、基本的にはやっぱり食べたいと思われるものを作りたいと思っています。」
という旨の発言をされていました。


自分は服作りを仕事にしているわけではないので偉そうな事は言えませんが
山口さんの話は服作り(ごく一部のコレクションブランドに限られるとは思いますが)にも
通じるものがあるのではないかと推察します。


服は突き詰めれば寒暖をしのげればいいと言うこともできると思います。
しかし実際には服には社会的コードとしての機能が付与され
さらに工芸品、或いはアートとしての価値も見出されています。

ただアートっぽい服と言われるものでも
なんとなく服というジャンルで完結しているものが多い気がするんです
(服なんだから当たり前だと言われればその通りなのですが)。

例えばこういう話になるとよく引き合いに出される
ギャルソンのこぶドレスは
美しいと思われていた既存の身体像以外の美しさもあるんじゃないの?
というメッセージだったと思うんですが
要はそれは身体論であり
自己イメージを維持・変形させる服の機能そのものの話だったと思うんです。
あれは「服の機能を純粋に取り出して見せた服」だと。
それはそれで本当にすばらしいと心から思うのですが
それが何かを連想させ、服の世界を広げる服かというと
僕はそうでもない気がしています。

また、僕はキャラクター物が好きなので
ラッドミュージシャンが出したドラえもんプリントのカットソーなんかも買ったのですが
それは「ドラえもんそのものがプリントされている服」であって
ドラえもん的な何か(そんな物があるのかはわかりませんが)を連想させる服」ではないと思いますし
アニメ(漫画)と服というジャンルを繋げて見せたかというとそうでもない気がしています。

流行りのブランド間のコラボレーションにしても
商業的意義は勿論認めるものの
服としては既存のデザインと既存のデザインを混ぜただけで
服自体の可能性を拡げるものだとは自分には思えません。

そういう意味ではフセインチャラヤンのエアメールドレス(写真1枚目)は
服でありながらもエアメールでもあるという点で
服の世界を拡げているのではないかと思ったりしています。
あとは家具が服になるアフターワーズコレクションとか(写真2、3枚目)。
ただこれらが「着たいと思われる服か」というと
自分は、遠くから眺めていたい服だなと思ってしまいます。


服の世界を広げ、消費者の想像を膨らませる物であり、
かつ着たいと思える服を作ってほしい
そして楽しませてほしいと
一消費者に過ぎない僕は無責任に思っています。