等身大のファッション

数日前、elasticさんで
「ファッション上級者ほどユニクロと古着を活用?」
というエントリーがアップされていて
コメント欄も含めて興味深く読ませていただきました。
サイトへのリンクはこちら↓
http://taf5686.269g.net/article/13731202.html


このエントリーの中でelasticのdaleさんは以下のように締めくくっています。
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ファストファッションブームによって、
男性にも「安い服を着こなす=おしゃれ」という価値観が広がってきています。
だからといって、あえて、ユニクロや古着を着ることがおしゃれだとは思いませんが、
権威より実利を追求するという点では、いい傾向ではないでしょうか。
ハイブランド、評判の服、最先端のトレンドで身を包むのが、
おしゃれ(上級者)というわけではありませんし。
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おっしゃるとおり、たしかに
「安い服を着こなす=おしゃれ」という価値観が広がってきていますよね。

この一文が端的に示しているように、
ある人の着こなしが「おしゃれ」かどうかというのは
その時代時代の価値観によると思います。

そして一昔前は「ハイブランドで身を包む=おしゃれ」という価値観が成立していたけれども
今では「安い服を着こなす=おしゃれ」という価値観がそれに取って代わりつつある。
納得です。


安い服をうまく使ってコーディネートで見せる
服単体ではなく全体のコーディネートで「自分らしさ」を出す。

「おしゃれ」だと思います。
本当にそう思います。
でもそれって「面白い」ですかね?


服は身体ではありません。
着用すれば拡張された身体にもなりえますが
基本的に服は身体ではない。
自分が纏う異物です。

そういう基本的には「自分に属さないもの」である服の隅々にまで
「自分らしさ」を行き届かせなければおしゃれではないのでしょうか?

自分ではないものを自分のものにしえないままに
身に纏っていては駄目なんでしょうか。

以前コメント欄で
「服を着ることを通して異分野を自分の中に取り込めるような感覚が持てたら
面白いだろうなあと思います。 」
と書いたことがありますが、
過去の記事へのリンクはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/margielamarni/25160829.html
服は異物でありながら身体に最も近く、ときに身体にもなりうるものだからこそ
僕はそれを着ることで自分にはないもの
(それはマルジェラのリメイクという発想だったりエイズに関する啓蒙活動だったりします)
を取り込みたいと思っています。

背伸びしたいんです。

無理したいんです。

自己を拡張したいんです。

色々せめぎあいたいんです。


実利を追求するのも勿論よいですが
権威(僕の言葉にすればそれは「自分にはないもの」)を追求することも
僕はいいことだと思っています。


そんなに等身大でいなければいけませんか?

消化のいいもの(実利的なもの)だけを食べないと
大きく(おしゃれに)はなれませんか?